前回は、一方通行だった母の愛について、幼少期から振り返りました。
母親との関係性を幼少期から振り返ることで、わたしがひかえめに生きてきた理由と生きづらさの正体を紐解きました。
今回は、キャリアカウンセリングを学ぶ過程で母親の呪縛に気づき、実際にはどのように卒業していったのかまでを振り返りたいと思います。
キャリアカウンセラーを目指す
転職活動がうまくいかない。
家賃や生活費を稼がなくてはいけない。
でも、実家には帰れない(帰ったら二度と東京に出してもらえなさそうで帰りたくない)。
いろいろな思いが交錯して、ボロボロになりながらハローワークに電話しました。そのときに、思いがけず親身に話を聞いてくれ、あたたかな言葉がけをしてくれた相談員さんの存在に救われました。
じぶんがしたいのは、このように「人の話を親身に聞いて、あたたかい言葉がけをする仕事」なのだと、気づきました。このときから、ハローワークの相談員になるにはどうしたらいいのだろうと考え始めます。
キャリアカウンセリングの勉強をきっかけに
キャリアカウンセラーの資格を取得する際に、キャリアカウンセリングの勉強をしました。その過程で、相談者であるクライアントの話をより良く聴く練習をします。
クライアントの話を良く聴く理由は、人は一方的に解決策を提示されるだけでは、行動にうつせないからです。クライアント自身のことを理解した上で、クライアントに合った解決法や実行可能な方法を一緒に考えて、はじめて実行しようとしてくれます。
また、クライアントを理解するためにも、自分自身を理解する時間をとります。じぶんがどのように感じて、どのようなときに行動に移すのか、どのようなときは行動できないのか。じぶんの感情や行動をふりかえることで、クライアントの理解に近づきます。
そのキャリアカウンセリングの勉強の一環で受けたキャリアカウンセリング体験が、母の呪縛に気づくきっかけになりました。
母の呪縛に気づく
ここからは母の呪縛に気づいた過程を振り返っていきます。
あなたの話を聞いていると苦しい(キャリアカウンセリング体験)
前述したキャリアカウンセリング講座の一つに、じぶん自身もキャリアカウンセリングを体験する内容のものがありました。個室に年配の女性カウンセラーと一対一。やや緊張しながらも、仕事について思っていることを話しました(わたしは当時31歳ぐらいだったと記憶)。
話した内容は、転職回数が多いことがハンデになり、苦労している悩みについてでした。一人暮らしで、家賃や生活費を稼がなくてはいけない。でも、実家には帰れない(帰ったら二度と東京に出してもらえなさそうで帰りたくない)。
一通り話すと、女性カウンセラーはおもむろに「あなたの話を聞いていると苦しくなってくる」と感想を伝えてきたのです(今からもう20年ぐらい前のことですが、はっきりと覚えています)。
わたしはかなり面食らいました。それまで習っていた「傾聴」を中心としたスタイルのキャリアカウンセリングとは、かけ離れて感じられたからです。わたしの気持ちに寄り添って話を聴いてくれたというよりは、わたしに何か問題があると明言されたようでショックでした。
空っぽのイスに向かって話しなさい
次に女性カウンセラーが指示したのは、向かい合っておかれたイスの片方に座ること。さらに、向かい合った誰も座っていないイスに向かって、「お母さんが座っていると思って、言いたいことを言いなさい」というものでした。
人が見ている前でそういうことをするのも初めてだし、見られているのにじぶんだけがやる抵抗感もあったし、正直戸惑いました。何度も促され、やるまで帰してもらえなさそうな圧を感じて、仕方なく向き合いました。非常に不快で、泣きながら話したのを覚えています。
その経験自体はとても不快でしたし、なぜあのようなことをする必要があったのだろうと帰ってからも腑に落ちませんでした(説明もなかった)。
後に何かで心理学の「エンプティ・チェア」という技法だったことを知りました。せめてその技法を使う理由と効果について、事前に提示して欲しかったなと思いました(課題解決の前に、信頼関係の構築は大切ですね)。
ただ、その荒療治のおかげで、自分のつらい状況を引き起こしているのは母の存在なのだと気づけたのです。
母がすべてのことに口を出すことで、信用されていないと感じ、自信を持ちづらい。すべてのことにアドバイスされることで、認めてもらえていない、否定されていると感じている自分がいることに気づきました。
気づくことができれば、あとは解決するだけです。
母のことが書いてある本との出会い
そうして母と向き合う必要性を感じてからは、母子関係について書かれてある書籍が自然と目にとまるようになりました。あるとき書店で手にとった本には、「長子の場合は、母親も子育て初心者。初めての子育てで、思うように行かないことが多い」という内容が書いてあり、母も大変だったのだと思ったら、少し溜飲が下がりました。
他の本には、子どもをコントロールしようとする母親について書かれており、じぶんの母もあてはまる傾向にあるな、と客観的になれたのを覚えています。
母の病気が発覚
75歳になった母は、急性骨髄性白血病を発症しました。後期高齢者は発がんの発症リスクが高まるといいます。長年糖尿病を患っていたことも、発がんの発症リスクをさらに高めたようです。
娘の七五三のときは元気だったのに、突然の発病でした。
闘病生活とコロナ
がんがわかって、まもなくコロナが流行り始めました。母がインスリン注射をするときの消毒用のアルコール綿が、コロナ騒動で不足するという事態に。薬局を回ったり、ネットショップを探したりして、やっとの思いでかき集めた消毒綿。それを渡したときが、母との最後の会話でした。
闘病で疲弊しているだろう母に、せめて孫の顔を見せて元気になってもらおうと子どもたちを連れていったのですが、「コロナだから来ないで」と言われてしまいました。お互いリスクがあるから、と言いたかったのでしょう。
コロナを恐れた母とゆっくりしゃべることもできなく、それが最後の会話になってしまったのが心残りでした。
その後トイレで倒れた母は、数日間眠ったまま永眠しました。耳は最後まで聞こえているというので、母の好きな音楽をかけたり、今までの感謝の気持ちを伝えました。お別れの準備期間があったことは、家族にとっても良かったと思います。
母の死では解消しなかった呪縛
母が亡くなった後は、これまでのわだかまりも一緒に母が遠くへ持っていくのだと思っていました。時間薬という言葉があるように、時間が経てば解決するものだと思っていましたが、そうではありませんでした。
母はわたしのすることすべてに対し、アドバイスという名で否定してくる存在でした。否定されると自信をなくします。自己肯定感も低くなります。
ということは、否定する人がいなくなれば、自分自身を肯定することができると思ったのです。しかし、ずっと低かった自己肯定感は、障害がなくなったからといって、すぐに上昇するわけではありませんでした。
それまでは、母からの否定に抵抗することで、あやういバランスで保っていたわたしのアイデンティティ。抵抗の対象をなくした途端、バランスを失い揺らぎ始めたのか。抵抗心を受け止める存在は、一種の支えでもあったのかもしれません。行き場のなくなった気持ちを、どうにかする必要性を感じました。
ゆがんだ母子関係を克服するためのカウンセリング
信頼できる臨床心理士さんをみつけ、わたしと母とのゆがんだ母子関係について相談することにしました。すると、「母子関係は根が深いので、少なくとも一年はかかります」という返答。予想外の長期間に悩みましたが、このままゆがんだ気持ちを引きずりたくないと、お願いすることにしました。
面談は、月に2回、1時間Zoomで話すというもの。落ち着いてきたら月に1回の頻度に減りました。
話す内容は、そのときに頭に浮かぶこと。子育てのことやじぶんのビジネスのことなど、母に直結しない内容も多かったように思います。
正直なところ、こんな調子で解決するのかなと半信半疑になったときもありました。話すだけ話して、すっきりして終わるだけのとき。話してみたものの、カウンセラーさんから言われたことに対して、モヤモヤして終わるときもありました。けれど、これも必要な過程なんだと思い、続けました。
1年続けたころに、相談する内容が変わってきました。それまではマイナスの内容が多かったのに、プラスの話題に変わっていったのです。1年かけてじっくりカウンセラーさんに向き合ってもらうことで、気持ちのわだかまりも溶けていったのでしょう。
ある朝起きたときに大きな変化が起こりました。素直に「お母さんに会いたい」という考えが、目覚めた瞬間にわきおこったのです。それ以降、母を思い出すときに黒い感情はついてこなくなりました。
まとめ
わたしは臨床心理士という専門家に話をすることで、生きづらさの問題のありかに気づけました。さらに話を聴いてもらいつづけることで、解決に向かいました。
あらためて、じぶんを産んでくれた人に対して、マイナスの感情を持ちつづけることは大変エネルギーのいることだったと思います(わたしは怒りつづけるのは苦手です)。不要な感情を手放せて、身軽になれた気分です。
これからも課題にぶつかったときには、一人で抱えこまずに、専門家に相談すると思います。そのほうが近道だと実感したからです。無駄に消耗していたエネルギーを、やりたいことにぶつけたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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